あゆとくん家、鮎斗君家のお父さんは釣りが大好き

釣り
三崎公園下の磯

随分昔に釣った魚たち

昔々ずっと昔に釣った魚たち、あの忌まわしい2011年の大震災の日から13年が過ぎても玄関わきの壁に張り付いたままの釣り竿たちがホコリだらけです。

クロダイの魚拓で作ったGIFアニメ。

 

大剣埠頭(通称八崎)夜7時半ごろ電気ウキ仕掛けのマゼ餌に食いついた未熟なクロダイ。28cmほどなのでカイズというやつでしょう。

生マゼ餌(エラコというやつ、この辺ではマゼとかマデとか言っている)

黒い皮に包まれていて、一本一本剥がして絞り出す。釣具屋で500円ほどで買える。

四ツ倉の国道6号線沿いの釣具屋の店頭に「しおまであります」と手書きのメニュー看板がありました。最初、へー、この釣具屋では塩まで売っているのか?と思った。

塩漬けにした生のエラコのことだと分かって、ちょっと笑ってしまった。

 

同じく八崎堤防でのマゼ餌の電気ウキ仕掛けの夜釣りで釣りました。やや小さめでしたが、丸々と太って刺身にして食べました。大変旨かったのを覚えています。

 

釜之前堤防の手前左のカジメ磯でブラクリ仕掛けで釣り上げたアイナメ。40センチの大物です。

昭和57年だから1982年でしょうか、まだ28歳ころ早朝で2時間釣り後出社し、昼休み30分釣り。仕事が終わると堤防に直帰。朝昼晩と釣り三昧の日々でした。

 

藤原7号埠頭の船着き場堤防にてオキアミ餌ウキ仕掛けで釣り上げたカイズです。

 

 

永井のダムにそそぐ小川で釣ったヤマメ。少し小さめでリリースサイズだったけど川で釣った初めての魚だったので記念にさせてもらった。

 

海釣りをはじめて間もないころ釣ったアイナメで魚拓も初めての経験だったので頭が右にきています。髪もカレンダーの裏側を利用したんです。

大剣八崎堤防。ブラクリ仕掛けで釣った黒ガラで30センチほどでしたが磯のガラとしてはまあまあ大きいほうでしょうね

 

豊間、沼の内堤防から外海に向けて投げ釣りで釣ったマコカレイですよ。うちわのようにゆらゆらと硬い投げ竿を揺らす独特な引き味のさかなでしたね。醤油で甘辛く煮て食べました。ふわふわの白身うまかったあ。

 

 

 

40センチ弱、この手の大きさのアイナメは釜之前、八崎でよく釣れました。

 

クロダイもよく釣りました。八崎堤防は私のホームグランドで、晩から朝まで釣りあかしたんです。

5.4磯竿のウキ仕掛けはよくやったけど、2メートルの短竿での脈釣りもよくやりました。この釣りでは堤防に付いたシューリ(カラス貝)を掻き剥がし足で潰しててまき餌にしました。鉄でできたイカリ状ものを鍛冶屋さんで作ってもらったんです。

クロダイやアイナメが面白いようによく釣れました。

クロダイほど引き味が強くないけどそれでも、まあまあ引きが楽しめる30センチほどのタナゴがよく釣れました

小名浜には沖防波堤が何本かある。スズキやクロダイのポイントが多くある。

渡船漂流タンカーと衝突沈没事故発生、強風下無謀な釣り人2名水死か?

沖防へは義理兄とよく一緒に渡ったことがある。ある時、渡船で兄貴と二人で乗り込んだ。その日は強風注意報が出ていてかなり強い風が陸から沖方向に吹き荒れていた。ほかに釣り客はいなかった。沖防までは10分ほどで到着する。沖防では大型のアイナメやクロダイが良く釣れるので、その日も釣れあがるクロダをタモ網で仕留める姿を胸にワクワクしながら到着を待っていた。
船がもうあと少しで到着するというとき、船長が操舵室から飛び出してきて、何やら船の前方付近の漁具が入っている蓋を開けて何かを探しているようだった。船長が大声で兄貴に、「そこにイカリが入っているので海に投げ入れるよう」指示していた。私は何が起きているのかわからずポカンとしていた。
船がガス欠でエンジンが停止して漂流しているらしいのだ。
「もうじき船が沖防に衝突するのでそこに6メートルぐらいの青竹があるのでそれで迫る沖防波堤壁に突っ張ることで衝撃を和らげるよう手伝ってくれ」と言っている。投げ入れたイカリは海底が砂地らしくどこにも引っかからずにズルズルと流され続けている。
3人で防波堤壁に青竹で突っ張りを入れて沖堤防への衝突は何とか回避できた。が、今度はさらに強風に煽られて防波堤の先端をすり抜け外海に流され続けている。
沖から港に入ってくる中型タンカー船がいて、このままいけばタンカーに衝突する危険が迫っている。船長は無線で兄弟船に救助を要請している。私はもうだめかもしれない。沈没、水死を覚悟した。そのとき、やっとイカリが海底の岩礁に引っかかったらしく船の漂流が止まってくれた。時を同じくして兄弟船が救助に駆け付けて船のえい航をしはじめた。タンカーとの衝突も回避できて無事港に帰還、事なきを得てほっと胸をなでおろした。
最初からこんな強風で釣りに出かけたのが間違いのもとだったのです。
釣りバカもたいがいにしろということですね。

あぶない釣り場もあった。なんの施設かよく知らないけど、小浜の海水取水場を取り巻くテトラポット群ではかなり水深がありよくクロダイが釣れるスポットでした。しかし、そこへ行くには当然施設は立ち入り禁止なので鉄条網付のフェンスを上って飛び越し、テトラに乗る時も誰がつけたかわからない細い切れそうなロープを伝ってやっとの思いでテトラに飛び乗るんです。

今にして思うと、若いころは命知らずというか怖いものなしで釣りのためならどこへでも行ったものですね。一歩足を滑らせたり間違えたら、、、生きてはいられないようなところでしたね。

釣りの記憶

昔、父親も釣りが好きだったようです。小さい頃は、太い竹竿に太鼓リールをつけて川岸からの投げ釣りでアカハラ(大型のウグイで産卵期に腹がオレンジ色になる)山女釣りによく連れていかれたのを覚えています。大樹町から広尾の海へ父に連れて行かれて初めて海の匂いを覚えました。干からびた干物のような潮の匂いでした。

小学校に行くようになってからは大川(歴船川)の川岸でミミズを掘ってウグイ釣りをやったのを覚えています。細身の一本物の竹竿からウグイがミミズを引っ張るカリカリと竿を握る掌のひらに伝わる感触が今も記憶に残っています。

2011年の震災前はどこの堤防も釣りで賑わう釣り銀座状体でポイントを確保するのが難しいのですが、そんな釣り人たちの合間を縫って堤防際を探り大きなアイナメやタナゴを釣り上げる優越感を味わえるのも大きな釣りの醍醐味でもありました。

三崎公園松下海岸公園の駐車場から見える釜の前堤防

釜之前堤防

でも、震災の少し前から、テロ対策とか言ってその背景はよく知りませんが、釣り人は締め出しを食らうことが多くなってきました。鉄柵を乗り越えて堤防に上がってもすぐに監視員がきて退去を迫られたり、漁業の関係者の船か何か知らないけど近づいてきては釣りを止めるよう拡声器で怒鳴られたりするようになった。

それでも図々しく釣りを止めない人も多かったが、次第に堤防から釣り人は姿を消していったんです。

極めつけに起きた大震災で津波被害を受けたのをきっかけに釣り人はすっかり見かけなくなった。

当初は二、三年したら釣りも再開できるだろうと考えていた。しかし13年経った今も竿は振れていない。

ここ、釜の前堤防も釣り人は一人も上がっていない。

 

 

 

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